ウチダの紙・イラストボード・ロール紙の通販

ウチダの紙・イラストボード・ロール紙の商品一覧です。
世界堂では、紙類・スケッチブック類などを幅広くご用意しております。

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紙の厚みについて

紙の厚さは坪量(つぼりょう)と連量(れんりょう)という2種類の単位で表します。
坪量・連量はそれぞれ表す内容が違っております。それぞれが表す内容と計算方法をご紹介します。まず【坪量】は紙の重量表示の方です。一定面積あたりの重量を表しており、平方メートルあたりの重さが基準となり、表示には[g/㎡]を使います。坪量[g/㎡]表示の場合は、同じ厚さの紙は寸法が違っても同じg/㎡数になります。次に【連量】ですが、「連」とは「同一規定寸法に仕上げた紙1,000枚」を表す単位です。板紙の場合ですと、100枚で1連とします。例えば、4/6判の紙の場合は4/6判が規定寸法になり、その1,000枚の重量が「連量」となります。連量の表示は[kg]を使います。連量[kg]表示の場合は、同じ厚さの紙でも寸法が違えば、kg数は変わってきます。

紙の厚みについて2

重いからといって、必ずしも触った時の厚みがあるというわけではありません。同じ重量の紙であっても、表面の凹凸具合によって、触った時の厚みの印象が異なってきますので、ケント紙などの表面がつるつるした紙は薄く、水彩紙などの表面にざらつきがある紙は厚く感じます。また、同じ紙で複数の種類の紙肌(目)がある場合は、そこでも変わってきます。わかりやすい例ですと、水彩紙などの場合、「同じ種類」「同じ重量」の紙でも、細目、中目、荒目によって厚みの印象が異なります。それは、同じ重量でも表面の凹凸具合が異なる為で、細目が薄く、荒目が厚く、中目がその中間といった印象になります。尚、「同じ種類」「同じ紙肌」の場合は重量が多くなればなるほど厚くなりますので、その場合は軽い方が薄く、重い方が厚い仕上がりになってます。

大作の制作におすすめ!【ロール紙】

水彩画・パステル画・色鉛筆画等で大きなサイズの作品を描きたい場合は、ロール紙の購入がおすすめです。使い勝手のよいサンフラワーA画学紙から、KMKケント紙、高級水彩紙に至るまで様々な用紙がロール巻で展開されています。例えば【ホルベイン ウォーターフォード水彩紙 ホワイト1.52×10m巻】であれば、F120号(1940×1303mm)相当の木製パネルに水張りをすることで、迫力のある大作の水彩画を描くことが可能です。また、数メートルもある絵巻物を制作したり、ワークショップで活用するなど使用方法は様々です。その他、子供たちの共同制作などにも向いており、学校等でも広く活用されています。ロール紙を使うことで、規定の紙のサイズに囚われないのびのびとした作品が描けるようになります。

イラストボードとは

イラストボードとは水彩紙やケント紙等と厚紙を貼り合わせ、ボード状にした支持体です。水彩・アクリル・色鉛筆・マーカー等、幅広い画材を使ってそのまま描き始めることが出来ます。強度があり水張りも不要な為、制作時の紙の波打ちやシワが気になる方におすすめです。

イラストボードの特徴と種類

イラストボードは画材や用途に合わせた様々な種類が御座います。人気商品である【KMKケントボード】はデザイン画・イラスト制作等に幅広くお使い頂けるタイプで、ディスプレイ用の作品にも適しています。その他、根強い人気のある水彩紙をそのままボード型にした【ホワイトワトソンボード】、【ワーグマンボード】、【シリウスボード】も御座います。水彩紙は絵具・インクの発色が優れており、色のにじみやぼかしをより美しく表現することが可能です。その他、色画用紙のイラストボードをお探しの際は【NTラシャボード】、【タントボード】がおすすめです。色数が豊富で、カットすることでも様々な用途で活用できます。小物を撮影する際の背景に使用するのもおすすめです。

内田洋行について

内田洋行は1910年(明治43年)中国大陸における満州鉄道の御用会社として、創業者・内田小太郎により創立された「翠苔号(すいたいごう)」が礎となっています。1914年(大正3年)に青島支店を設立以降、満州を中心として、最盛期には支店・出張所が20箇所を数えました。当初は、欧米から「L.Cスミス・タイプライター」「ベイツ自動番号器」等、著名な輸入品を取り扱いました。国内では、技術者必携とされた当時の先端的計算器「ヘンミ式計算尺」の国内総代理店となり、事業を拡大します。この展開により、“計算尺といえば内田洋行”と、国内で高い知名度を得ました。その一方、世界金融恐慌を契機に、1927年(昭和2年)、事務機器の輸入禁止措置による国産奨励が高まると、国産初の「トーホー自動番号器」、国産最高級「パイク高級鉛筆」「ミレー洋画材」等、本物志向の高級オリジナル商品を、独自にPR誌を発刊して展開しました。その後1941年(昭和16年)「内田洋行」(洋行は中国で「外国人の店」を意味する)と名称変更し、海外からの事務器械を輸入するなど事業を拡大しました。パイオニア精神を引き継いだ内田憲民(初代社長)は、1953年(昭和28年)、米国から持ち帰って製品化した「マジックインキ」、さらに当時製図器械で高度とされたドイツ式で開発した「ケントKD型製図器械」を次々に発表。さらに、1955年には、国産の手動計算機「タイヨー計算機」の販売を開始。業界初の実物展示会「ビジネスショウ」を考案する等、新たな事業開発に努めました。1989年(平成元年)、知の創造を実現するための調査・研究・啓蒙を目的とする企業内研究所「知的生産性研究所」を設置、設立当初から一貫して働き方を調査・研究しています。また、1998年(平成10年)には、教育現場における長年の事業活動や、行政機関、研究機関との連携で培った知見をもとに、次世代教育のグランドデザインを描く「内田洋行教育総合研究所」を設置しました。その後、ネットワークと空間の融合をコンセプトに、全社でユビキタス志向の情報空間構築を目指し、独自のノウハウで自在にICTを活用できる場として「ユビキタス協創広場CANVAS」2008年(平成19年)を開設し、その中で学校市場の知見から産官学協同研究をもとにアクティブ・ラーニングを実践する「フューチャークラスルーム」2010年(平成22年)を設置しました。また、強靭で柔軟な組織風土を生み出す働き方変革コンサルティング「ChangeWorking コンサルティング・サービス」を業界に先駆けて2010年(平成22年)よりスタートすると、2012年(平成24年)には、その仮説の実証を目的として新川第2オフィスで自社実践「チェンジ・ワーキング」プロジェクトを推進、これからの会議室プラットフォームの開発にも着手しました。「情報の価値化と知の協創をデザインする」企業へと事業転換をすすめています。

「マジックインキ」の歴史

油性マーカーの「マジックインキ」は寺西化学工業株式会社が製造を担い、「マジック」「マジックインキ」は内田洋行の登録商標となっています。開発のきっかけは、寺西化学工業株式会社初代社長・寺西長一(てらにしちょういち)と当時の株式会社内田洋行社長・内田憲民(うちだけんみん)との出会いからでした。戦後の混乱がまだ冷めやらぬ1951年(昭和26年)、 アメリカの進んだ産業界を視察し、戦後復興に役立てようという目的で「アメリカ産業視察団」の一行がアメリカに向け飛び立ちました。 その視察団に当時内田洋行の社長であった内田憲民が参加していました。 約3ヶ月にわたる視察の間に内田社長が買い求めた様々な商品の中に「スピードライ社」が発売しているフェルトペン先を使った新しいタイプの筆記具がありました。帰国後に開かれた見本市会場でこれを見つけた寺西化学工業社長寺西長一は、さっそく内田社長にこの新しいペンの研究開発をしたい旨申し出ました。 内田社長の話では、アメリカで新発売されヒットしている新しい筆記具という話でした。ところが、内田社長が持ち帰った「スピードライ社」の筆記具は、容器もキャップもバラバラに壊れてしまっており、 さらにペン先も中綿もカラカラに乾いてしまっている状態で、筆記はもとより、どういう仕組みの筆記具なのかさえ分からない状態になってしまっていました。 しかし残骸物と速乾・耐水性というお話から、容器中の中綿に含まれた油溶性インキが毛細管現象によりペン先から出るという構造のマーカーであろうと寺西社長は考えました。 早速インキ成分とマーカーの構造の研究を始めると共に早くも製造工場の建設にも取りかかりました。先ず、インキの主成分である油性溶剤に溶ける染料の研究から始まりました。自社で油溶性の染料を開発することとなり、数々の試行錯誤と必死に考え抜いた末、水溶性染料と樹脂を反応させることで溶剤に溶ける油溶性染料を何とか作ることができました。マジックインキにとって染料と共に大切なものは樹脂です。当時は現在のような合成樹脂が豊富にある時代ではありません。色んな樹脂の中から溶剤によく溶け、接着力の強い樹脂を選びました。 ペン先にするフェルトは、帽子屋さんに頼み山高帽のフェルトを使うことにしました。フェルトペン先は羊毛を絡ませたものを高温蒸気中で加熱圧縮して高密度に仕上げましたが、 そのままでは柔らかすぎてペン先としては好ましくないので、筆記に対して適度な硬さを持たせるよう樹脂加工を施しました。インキ吸収体には、スタンプ台で使用していた羊毛フェルトを使用することにしました。に溶剤に耐える容器・キャップの問題もありました。そのころのプラスチックといえば非常に限られており、ポリプロピレン・ナイロンはまだ発売されておらず、塩ビ・ポリエチレンが出始めた頃でした。 当時としてはインキの溶剤に耐え、溶剤の蒸発を防ぐにはガラス瓶とユリア樹脂が最適でした。こうして一つひとつ課題をクリアすることで、ようやく油性マーキングペンの完成にたどり着き、 マジックインキとして内田洋行と共に発売したのが1953年(昭和28年)4月のことでした。 このように共同で開発・販売したことから「マジックインキ」の商標登録は内田洋行になっています。

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